水色の風

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恩師の作品

初めて油絵を教えてくださったI 先生の作品「マッターホルン」です。
震災の後、先生の研究室に遊びに行って「生きてました?」と言うと「生きとった!」
と、暫くはスニーカーをはいて自宅を片付けていたお話などをして・・・。
震災の後は「物欲が無くなった」と、額に入れた物を頂いた記念の絵です。
その時の額はかなり古い物だったし、家にも沢山あるので処分してしまいましたが
数年後に先生が亡くなられて、額も置いておけば良かったと反省しています。
主人公認で、ギャラー巡りのデートをしたり、全国公募の展覧会を観に連れて行って貰ったり
想い出は一杯ありますが、I 先生には1度も叱られた事が無かったなぁ。
ただ1つ悪い癖は、私の顔を見るたびに「脱げ脱げ」と言う事(>_<)
私も「高いよ~!」とか
「私なんか描くより、理科の実験室にぶら下がってるのに目と口だけつけといて~」
とお決まりの返事で返していました。
私の描く絵は「一水会」所属の先生の絵とは、かなり違って来ていますが
今も描いている事を知ったら「そうか、そうか」と喜んで下さるでしょうか。


この場所に立って描いたというI 先生の「マッターホルン」
IMG_3378.jpg



1983年の作品なんですね
こんな風にきっちりと書いてあるなんて、私も見習わなくっちゃね。
IMG_3379.jpg






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4 Comments

anasthasia  

No title

今日はその震災の日ですね。
あれから14年経ちました。
臨月だった私はとても怖くて、今でもあの時の事を思い出すと
身体が震えます。
神戸の親戚は亡くなり、伊丹の叔母の家は全壊し西宮の友達は避難所生活でした。
きょんきょんさんは、当時どんな状況でしたか?

恩師の絵は宝物ですね。
マッターホルンに立たれて描かれた絵なんですね。
力強い絵のように感じました。

2009/01/17 (Sat) 13:48 | EDIT | REPLY |   

こまち  

思い出します

あれから14年はやいですね。
便りの主人はすでに会社に出勤してたし姑は睡眠薬飲んで寝てたようで頼りは若かったベルだけでした(*^^*ゞ

あれから暗いところやトンネルや地下は恐くてさっさと通り抜けます寝る時は真っ暗にして寝ることができず豆球つけて寝ています

私だけじゃないやろうけどほんとにいろんなことがトラウマになって苦しんでる人が多いでしょうね

こうやって生きてるだけで幸せって思わないといけないんでしょうね。

マッターホルンに登って絵を描かれたの恩師の先生画材もってくだけでも重たくて大変そうなの若かかったのでしょうね

2009/01/17 (Sat) 15:56 | EDIT | REPLY |   

きょんきょん  

anasthasiaさんへ

昨日の事のように思い出しますね
地元なので身近な所で悲しいお話や感動的なお話が沢山ありました
話すときりが有りません。
我が家は食器棚の扉が開いて中の物が壊れたり、タンスが倒れたりしました。
やはりスリッパを履いて部屋を片付けました。
自宅の被害は大した事なかったので、何日も余震が続く中
避難所や仮設住宅の人のお手伝いに行きました。
避難所では沢山の人手が必要なのに、誰でも入る事が出来ないんですよ
許可を貰った人数名しか入れません
市制の姿勢はどうなっとるんじゃ、と思いました。

2009/01/17 (Sat) 17:29 | EDIT | REPLY |   

きょんきょん  

こまちさんへ

ご主人は出勤されてたんですね、一人で大変でしたね
でもベル君が居てくれたので心強かったですね。
14年も経ったと思えない位、はっきりと覚えていますよね。
亡くなった人はさぞかし無念だった事でしょう
毎日を感謝して生きなくてはいけないと思います。
恩師は休みになると海外に行っていました、殆んどの国の言葉が喋れるんですよ
でも何故か英語だけはだめでしたね。
何時もスケッチブックにささっと描いて、それをアトリエで油絵にしていました。
お手本にして私も屋外で描く時は殆んどスケッチブックです。


2009/01/17 (Sat) 17:42 | EDIT | REPLY |   

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